殺す人間は殺される

電信柱 - 殺す人間は殺される
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俺たちが共通の社会体験のなかにいるように感じるのは、〈似た夢〉をよくみるからに過ぎない。
〈似た夢〉をよくみるのは、ただ俺たちが全員同時代に生きている人間だからだ。
だが、あくまでもそれは〈似た夢〉であって〈同じ夢〉ではない。
俺たちは、映画館に集まって一本の同じ映画をみているわけではない。
社会体験に於いて、全員が見ることの出来る〈一本の同じ映画〉など存在しない。
一つの社会体験を全員で体験するのではなく、複数の社会体験を複数がそれぞれに体験する。
それぞれの社会体験に登場する他者たちは、ただその社会体験の中でのみ〈現実〉だ。
この射程の短い〈現実〉が、ある個人から発せられて、社会を覆い尽くすことは決してない。
各々の個人から発せられた短い射程の〈現実〉が、お互いに重なりあうことで社会を覆うのだ。
そして、重なり合ってはいても、それぞれはやはり〈別もの〉のままだ。
そのことを忘れてはいけない。


自分の〈社会体験〉の〈現実〉の射程に対する過大評価が問題だ。
人間の引き起こす(した)災厄は、すべて、この〈過大評価〉故だ。
無理心中、オウム、第三帝国テロリズム、独裁貧困国家、世界の警察気取り……。


更に言えば、だから、「私が生き続けたいように、彼もまた生き続けたいだろう」もダメだ。
その考えた方はいつでも〈裏返る〉ことが出来るからだ。
「私が絶望しているように、彼もまた絶望しているだろう」
「私が死を望むように、彼もまた死を望むだろう」
肝心なのは、自分の〈現実〉の射程の短さを自覚することだ。
他者は、あんたの〈現実〉を生きているわけではないことを、忘れないことだ。

電信柱さんの社会派コラムは相変わらず面白いなあ


自慢ではないけど、以前ぼくがぶくました「強い書き手、弱い書き手」という記事が
あっという間にhotentryになって、サイト自体のヒット数に
多少なり貢献できたみたいで、うれしかった