半魚文庫さんによる「女王の教室」レビュー

楳図かずお批評などで有名なサイト「半魚文庫」の半魚さんによる
ドラマ「女王の教室」のレビューがアップされていた


嫌い見ない払わない.半魚文庫 - 『女王の教室』NTV
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/naisei/tv.htm#S20

たまたま見たが、久々面白い教員モノである。天海祐希(阿久津麻矢という役名)が公立小学校の「悪い」教員役で、とてつもなく独裁的・独断的で成績至上主義だ、というわけである。


非常によく出来たドラマになっている。言っておくが、『バトル・ロワイヤル』なんかの興味本意な悪趣味振りとは、まったく無縁の作品である。この阿久津先生の言う事は、基本的に正しい。曰く、「現在の日本は、たった6%の特権階級のために、残りの落ちこぼれ人間が高い税金を払っているのだ。」、「6%の人たちは、残りの人間は愚かなままであって欲しいと願っている。」。6%という数字的な根拠は知らないが、大筋でそうした指摘には、極めて共感する。高度経済成長期の残像としての一億総中流意識という観念は、バブル崩壊以後、まったくの幻想に成ってしまった。『ごくせん』ような作品が持つドラマ的テーマ、すなわち正義を行うこと大切さ、仲間を信じることの貴さ、身勝手で利己的な誘惑に負けずに自己の理念を確かに持つことの重要性、そうした倫理的理念は、みなが平等であり分かり合うことが自然に可能であった時代にはすんなり受け入れられてはいるものの、現在においては、現実に対処する力にはなりえず、現実を一瞬だけ忘れさせてくれる逃避的カタルシスとしてしか機能しない、というジレンマを持っている。また、そうしたドラマが繰り返されることで、読者はそれに慣れ、内的な倫理を形成する契機を物語は持てず、むしろ現実にたいする厳しい目を曇らせることにさえなる。てよりは、そのカタルシスはギャグにしかならない。こうした理想主義的作品には、もはや現実を変える力はない。それが、貧富の差がいっそう拡大しつつあるシミュレーション世界、すなわち現代なのである。


しかし、この先生のやり方は、勿論間違っている。因みに、確かに今の子どもは、生意気でわけのわからないガキ共なのだろう。しかし彼らを前にして、「こういう先生が良い」などというバカ(親・他の教員・大人)は、親・教員・大人の資格は無いだろう。子どもが今荒れているのは、野放図な自由を認めてもらえないからでも、不幸せだからでも、お金が無いからでもない。たぶん、親の愛情が足りないからでもない(愛情は必要だが、親である必然性は必ずしも無い)。そもそも社会が理不尽に出来ているからである。その社会に納得できないからである。(大人は、あきらめることで納得している)。社会が理不尽である時に、教室だけは理不尽でない空間に作り上げることも、教室においてあらかじめ理不尽さを体験させておくことも、どちらも現実に生きる力にはなりえない。必要なのは、理不尽であることを、子供自身を納得させ自覚させ、その理不尽さを如何にして解消させていくか、それを考えさせ実践させることである。


阿久津先生は、一言でいうと、診断は正しいが、処方が間違っている、のである。ただまあ、この分析の正しさは、非常にかいたいと思う。


このドラマは、どんな風に展開していくのだろうか。まだ一回目が終ったばかりであるが、エンディング・テーマを見る限り(楽しそうに踊っている天海がいる)、まー、先生が改心してしまうんだろうな(あちゃーって感じ)。また、教職を2年間離れていた、という設定である。この2年間の秘密みたいなのがあって、精神的な病気だったみたいな話になって、弱みを見せて自己崩壊するとか(あちゃーって感じ)。


そんな展開になるのを、勿論私は望まない。これは、基本的に、人民が自立し、団結して独裁者を倒す、というドラマである。団結して倒すドラマ・ヒロイズムはかつて沢山有った。しかし、自立を描いたものはあまり無いと思う。人民は総て、英雄(自立した)のコマに過ぎなかった。子どもたちよ、絶対に、断固として、教員と和解するな!理不尽を許さず、徹底して緊張を持続せよ! そうした経験の無い者は、自分で考え判断する力を持たない泥人形にしかならないのだから。愚民に収まるな!

このドラマ、あまり真剣に見た事がないんだけど
各地で評判いいよなー
今度見ようかな