ACの悪趣味広告

下で書いた内容とは、また別なんだが
ACが以前にネットで悪趣味な広告を流していて話題になったのを思いだした
……って引っ張って見たらタイトル「invisible」だってさ!ケンカ売られてるな(わらい)


invisible
http://www.interactive-salaryman.com/pieces/invisible_j/main.htm


バナーをクリックすると衝撃の真相が!ってやつね


これについてはまあ
広告の意図が非常に明確なので、そんなに目くじら立てることもないとは思うのだが
id:dice-xさんこと辻大介先生の下の記事は、非常に得心の行くものだった


思考錯誤 - 虐待防止の「公共」広告
http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20050516#p1

ジロジロ見る人、聞こえよがしにつぶやく人、それぞれに「善意」の持ち主ではあるのだろう。

先の広告はその「善意」を促そうという意図のものだろう。

しかし、実は「善意」とは「公共」の場で発動する(べき)ものではないのではないか。


少し話は近未来的な空想になってしまうが、こういう「善意」の人たちが、私たち家族の写真をケータイでとって、警察なり何なりの機関に通報したとする。

(→ id:dice-x:20040308#p1 参照)

その機関が、犯罪などの問題につながりそうな人物の追跡可能性(traceability)を高めるための個人情報データを保管しており、顔写真と照合して、私たち家族を特定したとする。

そして、私たち家族はその機関から干渉を受けることになる。

余計なお世話だ、ほっといてくれ。


もちろん、こういう「余計なお世話」は、個人情報システムを精緻化することによって避けることはできるだろう。

病院のデータとも連携して、アザのできやすい病気かどうかを把握しておき、干渉にのりだすレベルを調整する、とか。

それもひとつの方策ではあるだろう。


しかし、それが問題(たとえば虐待という)を解決する最もよい唯一の方策ではあるまい。

そもそも、虐待は、周囲の人の無関心によって生じるのか。

虐待そのものは、家族のありよう(と家族のおかれている社会のありよう)によって生じるものだろう。

周囲の監視の目を強めることによって、虐待の「発見」は容易になり、ひいては虐待が減るかもしれない。

でも、それは対症療法だ。

問題は、虐待とは別のかたちをとって噴きだすのではないか。

監視システムの精緻化(traceabilityの向上もふくめ)は、むしろそもそもの問題を覆い隠すように作用するだけなのではないか。