芸術と経済

ぼくがいないときに盛り上がっていた話題は
色々あったけど、やっぱり一番大きいのは↓これかな


ARTIFACT ―人工事実― | ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる
http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/networkworldranking.html

将棋の羽生善治名人が最近出した書籍『決断』の話から派生して面白い話題があったのでメモ。
 世界統一ランキングが簡単に見えるようになって、井の中の蛙にならなくて済むようになったが、同時に井の中の蛙でないと、努力するモチベーションも生まれにくいという話です。

加野瀬メソッド全開!!!!1111ぬぬのエントリー自体も勿論面白いんだが
個人的にはこの記事に対する多種多様な反応の方が興味深かった


ねえねえみんな、ステーキ食べに行こうよ - あれ
http://d.hatena.ne.jp/busky/20050801/p4

孫引用になるが

この文章を読んで、そうした継続できる情熱が育ちにくくなっているのが現代なのではないかと思った。情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。最初から上位になれる人は稀だ。大抵は何千位や何万位から始まる。それでは嫌になってしまう。

これがまったく理解できない。舞台が全世界なら上に何千何万と居て当たり前じゃないか。地球上に何人居ると思ってるんだ。数十億も人が居るんだから、その中の一握りに入れるはずないってのは自分がいちばんよくわかってるだろ。上位に入るために人生を棒に振るほどのコストを支払ったわけでもないのは、自分がよく知ってるだろ。そんな当たり前のことで嫌になるくらいなら、何がどうなっても一位にはなれんよ。寝ぼけてんのか? 自分が上位に居ないとやる気なくすんなら、それはその分野が好きなんじゃなくて、上位に居ることが好きなだけだろ。勝ち目のある試合にしか興味ないんだろ。スランプとか称して勝手に落ちていくがいいさ。MMORPGでいうところの最強厨だ(注:自分のキャラが最強でないと気が済まない人のこと)。


で、読んでいったらドッツの例があった(読みながら書いてる)。あー、なるほどね。別にいいんじゃないの。ドッツで遊びたいのか、功名心のためなのか、そのへんが自覚できて。名声を得るにはこれくらいの才能なり対価なりが必要だってことがわかって、それはそれで勉強になったと思うんだけど。

一部しか引かなかったけど、全編力強さに溢れる名文です


このid:buskyさんの意見に更に反応した人も多くいたけど
中でもなんばりょうすけid:rnaさんとid:Nao_uさんの意見は面白かった


児童小銃 -456- - 絶対世界モチベーション
http://d.hatena.ne.jp/rna/20050802#p2

busky さんのレスは「いいこと言ってる」id:strange:20050802#p1 と思うが、こういうミクロな視点の「あなたがモチベーションを維持するにはどうしたらいいか」的な処方箋では足りない部分があると思う。


というのは、競技人口とか競技のレベルとかマクロなパラメータに対しては、競争に勝つこと(あるいはそれによって得るモノ)に対する満足がモチベーションになるっていうのはかなり効いてくるから。経済とか科学技術とかの進歩がそうであるように。


そしてマクロなパラメータは個人のミクロな満足にも跳ね返ってくる。例えば競技を「楽しむ」タイプのプレーヤーが増えると熱く燃えるタイプのプレーヤーがスポイルされるとか。井上雄彦『リアル』の主人公たちみたいに。


それと直観的に予想されるのは、加野瀬さんの*1予想する世界では、レベルごとの人口を表す競技人口ピラミッドを作った時に、綺麗なピラミッドにならずに真ん中あたりがやせ細った尖ったピラミッドになるであろうということ。上を目指さない人はレベルが伸び悩むから下の方が膨らんで、中間層は若い天才か負け続けても挫けない別の意味で天才的な努力家しかいなくて、どちらも人口比的には少数派だから。


競争で人が成長するには自分より少し上のレベルと人と競うのが理想というのはよく言われるけど、痩せたピラミッドの下ではそれがやりにくくなる。世代交代が進めばピラミッドの先端が消失してしまうのではないか。プレーヤーは消えてもそれを見ていた人たちの記憶は消えない。かくして「昔の××はレベル高くてよかったのに、今じゃどうよ?」みたいな愚痴がちまたに溢れ帰るイヤな世界が到来すると。。。


Game Programmerグループ - Nao_uの日記 - 趣味と満足と娯楽
http://game.g.hatena.ne.jp/Nao_u/20050802#p1

平均より劣るってことを認めないと何もできんよ。すごいと思ってたのは自分だけだったんだ、って早期に気付けてどう考えてもラッキーじゃないか。気付きたくなんてなかったのに!てのは甘えなので捨てるといいと思うよ。

そうは言っても、せめて趣味や娯楽をやっているときくらいは「自分ってすごい」と思いたいのもまた人情だし、よほどの悟りを開いた人でもなければ余暇をつぶす趣味に没頭してるときにまで「自分は平均よりはるかに劣るんだ」なんて意識したくない人が大半だと思う。もともと楽しむためにやってるわけだし、「お山の大将」というと悪く聞こえてしまうけど、釣りとかゴルフみたいな趣味で「仲間内で一番」とかを誇りに思うのは全然悪いことではないように思う。ただ、今は情報が氾濫しすぎててみんながセカイ系*1に染まりつつあり、自分も含めてそういうのをすごいと思える人の割合が減ってきているのではないか、と。

加野瀬さんとbuskyさんの意見の相違というのは
なんばさんが指摘されているような「マクロ対ミクロ」の相違としても解釈できると思うけど
ぼくは「芸術対経済」の対立項をあげてみたいな
基本はゲームの話だし


自分の価値観を表現する事をモットーとする芸術家は
世間の「ランキング」や競争原理に縛られる必要はないし
むしろそうした世俗的な価値観に縛られると大成できない場合が多い


もう一度buskyさんの文章を引くと、

俺もテトリスにはそこそこ自信があったんだが、テトリスのスーパープレイ動画をはじめて見たとき放心しながら感心しながら最初から最後まで見て、世の中にはすごい人が居るなあと思った。でも、それでテトリスやる気なくすなんて発想はなかったなあ。長い棒を挿入して4ライン消すだけで充分楽しいから世界ランキングには何の興味もない(上位の人のプレイには興味がある)。


user javascriptをはじめて見たときも(具体的にはこどもてれびの人の、はてなブックマークのコメントを表示するやつ)、うわすげえと思って俺もいろいろ書き始めた。javascriptといえばなんか時計とか表示するやつ、程度の認識しかなかったので当然最初は小汚いコードだったけども、最近ではじわじわ洗練されてきてると思ってる。他のコードを読んで参考にすることは多いが、俺の成長と世界ランキングには何の因果もないし、俺と他人を比べる筋合いはない。俺はいいスクリプトを書ければ満足だ。Javaもちらっと勉強したけど、なんか頭悪くて覚えられなかったからやる気なくしたが、それも世界ランキングとは関係ない。俺のごく個人的な問題だ。

buskyさんは自分の表現欲であるとか知的欲を満足させるために
テトリススクリプトを組まれていて、そもそも他人と競争するという意識がない
こういう考え方は(ご本人がどう思われているのかは分かりませんけど)純粋に芸術家*1的な思考法だと思う
要するにデュシャンキューブリックがチェス狂だったのと似たようなものだと思うから*2
アーティストは自分のやってることが社会的にどーとかなんて考えないし
むしろそういう事を考えてしまう奴は大成以下略なので、そもそも芸術分野に向いていない、とも言える


ところが、こうした芸術的思考法によって生まれた*3ゲームやらスクリプトやら映画やらなにやらが
娯楽」として経済原理の中に組み込まれると
当然ながらこうした芸術的思考に全く縁のない普通の人がその消費の中心となっていくので
いろんな問題が噴出するのだと思う
これは「娯楽」でありかつ「芸術」である
メディアにはつきものなんだけどね


芸術対娯楽≒経済、の対立軸でネットゲームの例を考えるなら
芸術よりな人は勝ち負けなんかどーでも良くて、そのゲームを楽しみつつ腕を磨きたい、という考えかたなんだろうけど
実際の所はゲーム=娯楽=金払って手軽に快楽を得られるもの、と考える人の方が圧倒的に多いので
そうした人が加野瀬さん語る所の「モチベーション低下地獄」に陥りやすいのだと思う
その人が思っているのは「余暇をつぶす趣味に没頭してるときにまで「自分は平均よりはるかに劣るんだ」なんて意識したくない」ということであって
それを「意識しない」ためには「他人との勝負に勝つこと」が手段として一番手っ取り早い、と


なんばさんの言われる「競技人口とか競技のレベルとかマクロなパラメータに対しては、競争に勝つこと(あるいはそれによって得るモノ)に対する満足がモチベーションになるっていうのはかなり効いてくる」てことは
要するに娯楽は商業をベースとしてにしか成立しないから、娯楽的要素を取り込んだ「芸術」は
経済原理の中に組み込まれていくしかないのであって、とか考えてたら
bewaad先生が回答となるエントリーを書かれていたよ!


bewaad institute@kasumigaseki(2005-08-03) - 卓上のグローバル競争
http://bewaad.com/20050803.html#p01

ゲームの場合、単純にグローバル市場の成立により、世界中で最も比較優位な者から財を購入できるのでめでたしめでたし、とはなりません。プレイをして楽しむという面に着目すると、自ら生産する者のみが消費する特殊な市場にたとえることができ、最も比較優位な者(ないしそれになる可能性のある少数の者)のみが生産するようになると、消費者も減少して市場自体が極めて小さなものになってしまいます。

結局ゲームプレイヤーの中で圧倒的多数派である「ただ(出来ればラクをして)ゲームを楽しみたい派」の人を考慮しないと
「娯楽としての」ゲームはなり立たなくなってしまうと言う事なんだと思う


個人的には、そうした低ーいハードル(ただ勝ちたいだけのプレイヤーでも満足できるレベル)を
初期設定として多数の人間を集めて、
その中から「他を気にせず黙々と努力できる才能」の持ち主を発掘した方が
やがて人口が「やせ細ったピラミッド」になる危険性は軽減できると思うなあ

*1:ここでは「知的及び美的なものを追求したがるタイプの人」の意

*2:両者ともとてつもない凄腕の持ち主だったとか…

*3:今は最初から金のためにやる奴もいるが